日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

2026/08/25 10:42

次太夫堀、というのを聞いたことがあるだろうか。田園都市線二子玉川駅から成城学園前駅行きのバスで15分ほど行ったところに、「次太夫堀公園前」というバス停がある(成城学園前から乗った方が近い)。かつての里山の様子を再現した公園で、その中を流れているのが次太夫堀である。

次太夫とは小泉次太夫吉次のこと。江戸時代初期に幕府の代官となり、多摩川の左岸(世田谷側)に六郷用水、右岸(川崎市側)に二ヶ領用水を作ったことで知られている。この六郷用水ことを次太夫堀ともいう。今では住宅地となっている世田谷区も、戦前は田畑が広がる農村地帯だった。この田畑を潤したのが次太夫堀で、昭和40年頃まで実に300年間にわたって利用されていた。
さて、小泉次太夫は幕臣のため『寛政重修諸家譜』第三九一に「清和源氏支流」としてその系譜が収められている。それによると、生家は駿河国富士郡小泉郷(現在の静岡県富士宮市小泉付近)に住む今川氏家臣植松家で、天正19年(591)次太夫は徳川家康に仕えて「小泉」と名乗った。
そして、家康から江戸近郊の新田開発を担当する代官に任命されると、狛江と武蔵小杉に陣屋を置いて15年ほどかけて両用水を完成させた。現在では一部が丸子川として残っているだけで、改めて復元して公園として整備したものだ。
公園内には民家園もあり、旧加藤家では5月頃には実際に蚕も飼育している他、石臼で粉を引く体験もできる。
