人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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都内最大級の古墳

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2025/08/12 11:40

芝公園と東京タワー

先週田園調布にある古墳群を紹介したが、実は都内最大の古墳は港区にある。港区芝、東京タワーの近くにある芝公園の隣にこんもりと繁った小山がある。この付近が5世紀前後(4世紀後半とも)に築造された芝丸山古墳群である。

「丸山」という名称は円墳を指すことが多いが、中心となる芝丸山古墳は前方後円墳である。全長100mを超す前方後円墳と十数基の小さな円墳群があったが、江戸時代には前方後円墳の後円部頂が崩されて広場になっており、戦後には円墳群も台地ごと削平してホテルが建設され、現在は芝丸山古墳しか残っていない。

都営大江戸線の芝公園駅で降りると、すぐ横から芝公園に入ることができる。ここは元は増上寺の境内だったが、明治になって公園になった。ここから東京タワーを見ながら公園を通り抜け、芝東照宮の裏手にある小山を目指して登っていくと、後円部の頂上に出る。

芝東照宮
後円部の頂上

この前方後円墳は案内板では106m前後と記載されている。しかし実際には125mあるといい、多摩川台古墳群最大で全長107.5mある亀甲山古墳より大きく、都内最大であるという。日本の考古学の黎明期である明治31年に発掘され、埴輪や須恵器などが発見されている。

現在は眺望はよくないが、明治時代には東京湾が見渡せ、桜の名所として親しまれていたという。

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