人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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佐野善左衛門の由緒と佐野氏の墓所

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2025/06/24 10:38

本丸跡

NHK大河ドラマ「べらぼう」に佐野善左衛門政言が登場している。今は穏やかに老いた父の介護をしているが、以前系図を田沼家に持参して投げ捨てられており、そろそろ次の展開がおとずれそうだ。

さて、「佐野」という名字のルーツは各地の地名で、中世には下野、甲斐、丹後、近江など各地の地名に因む佐野氏がいた。そのうち最も名門としてしられているのが、下野国佐野(栃木県佐野市)をルーツとする佐野氏である。

この佐野氏は藤原秀郷の子孫で、足利有綱(室町将軍家とは別流)の子基綱が下野国佐野に住んで佐野氏を称したのが祖である。基綱は源頼朝に仕えて鎌倉幕府の御家人となり『吾妻鏡』にも登場している。以来唐沢山城(佐野市)に拠って戦国時代初期には安蘇郡をほぼ支配する戦国大名であった。

その後、紆余曲折ありながらなんとか戦国時代を乗り切って、江戸時代には佐野藩を立藩したものの、宇和島藩主富田信高の事件に連座して改易となり、以後は旗本として続いた。

佐野市には佐野城の遺構が残っている。このあたりは真夏には40℃近くなるため、そこまで暑くならないうちに訪れてみた。佐野城址があるのはJR両毛線佐野駅の北側。駅に直結する城跡は珍しい。

佐野城址

ここは関ヶ原合戦後に、佐野信吉が唐沢山城を廃して山麓に新たに築いた城で、駅側から三の丸、二の丸、本丸、北出丸とつながっている。現在は城山公園として整備され、公園内の記念館には発掘調査の様子などが展示されている。

さて、佐野駅から東武佐野線に乗りかえて3駅進んだ田沼駅近くに曹洞宗の大明山本光寺がある。ここは佐野氏の菩提寺で、案内がないためわかりづらいが、本堂裏には佐野氏歴代の墓所がある。

大明山本光寺
佐野氏歴代の墓所

なお、『寛政重修諸家譜』には、佐野善左衛門政言はこの佐野氏と同族ではあるものの、別の家として収録されている。

 

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