日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2025/05/07 13:25
今年の連休は好天の日が多く、前半に名古屋付近を訪ねてきた。最初に訪れたのは勝幡。といっても、愛知県以外の人でここがどういう場所かを知っているのは、かなりの戦国通だろう。
名古屋駅で新幹線から名鉄に乗り換えて、津島方面に向かう途中に勝幡駅がある。住所でいうと愛知県愛西市勝幡町だ。この地名、「勝幡」と書いて「しょばた」と読む難読地名でもある。もともとは「塩畑(しおばた)」と呼ばれていたが、織田信定(信秀とも)が「勝ち旗」の意味で「勝幡」と改名したといわれている。
信定はここに勝幡城を築き、その子信秀は勝幡城主として守護斯波氏に仕えていた。勝幡城は三宅川と日光川が合流する三角州にあり、その城域は現在の稲沢市平和町にまで広がっていた。従って、なぜか2つある「勝幡城址」の碑は、いずれも稲沢市側にある。
今では日光川の改修によって地形が変化しているものの、付近には「城之内」「城之西」といった小字も残っている。さて、織田信秀とは信長の父。つまり、勝幡城は信長の出生地でもある。そのことから、勝幡駅前には織田信秀と土田御前に抱かれた幼少期の信長という珍しい銅像が建てられている。
名鉄で勝幡駅の2つ先は津島駅である。津島は今ではかなり内陸部にあるのだが、当時は川幅300mという天王川(現在は公園)に臨む川湊で、伊勢湾水運の拠点でもあった。
勝幡の織田家は弾正忠家といわれ、尾張下4郡を支配した清州織田家の庶子家にすぎなかったが、この津島を支配下に置くことで経済力を蓄えて発展、信長の代に織田氏全体を統一することになる。