人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

●サイト(オフィス・モリオカ)
  → https://office-morioka.com/
●ツイッター
  → http://twitter.com/h_morioka
●facebookページ
  → https://www.facebook.com/officemorioka/
●Instagram
 → https://www.instagram.com/office_morioka/

 

比企谷の妙本寺

このエントリーをはてなブックマークに追加

2021/12/27 10:28

鎌倉駅から東に10分ほど歩いた比企谷に妙本寺がある。春には見事な桜と海棠(かいどう)でも有名。ここも、「鎌倉殿の13人」ゆかりの寺である。

関東ではかつて谷間のことを「やと」と言い、とくに鎌倉では「やつ」とよんだ。源頼朝の流人時代に20年間にわたって支援した乳母の比企尼の縁で頼朝の重臣となった比企氏は、御所の東部の谷間に屋敷を構えたことから、そこが比企谷(ひきがやつ)と呼ばれるようになった。

比企谷(ひきがやつ)

比企尼の甥能員は鎌倉幕府の有力御家人となり、さらに能員の娘若狭局が2代将軍頼家の側室となって一幡を生むなど、将軍家の外戚として大きな力を持ち、「鎌倉殿の13人」の一人にも加わっている。しかし、頼朝没後次第に北条氏と対立し、建仁3年(1203)北条氏によって一幡も含めて一族がほぼ討たれ滅亡した(比企の乱)。

乱の際2歳であった能員の末子能本は、助命されて安房国に配流となった後に出家、日蓮に帰依した。能本は4代将軍藤原頼経の御台所となった姪の竹御所(若狭局の娘)の没後に、その菩提を弔うためかつて比企氏屋敷のあった比企谷に法華堂を創建。のち日蓮の弟子日朗が継承して妙本寺となり、以後日蓮宗の重要な拠点となっている。

境内には比企一族の供養塔がある。


2021年の更新は今回が最後になります。2022年は1/11より更新予定です。

このエントリーをはてなブックマークに追加

ページのトップへ