宇山卓栄(うやま たくえい)1975年、大阪生まれ。著作家

ウイグル人の独立を許してしまうとどういうことになるでしょうか。中国は崩壊するでしょうね。ウイグル人が住む地域の近くにはチベット人がいます。またミャオ族や満州人など、さまざまな民族が周辺に住んでいます。そしてそこに、貴重な資源が豊富に眠っています。

一方で、中国の真ん中の漢人が住んでいるエリアには大した資源がありません。周辺の民族の独立を許してしまうことは、これらの資源を手放してしまうということになるわけですね。だから、中国政府は絶対に彼らの独立を認めない。少しでも独立の動きを見せれば弾圧します。いまも強圧的な支配を続けているのには、こういう理由があるんです。

当然支配されるほうは反発して、テロを含めた反政府運動を起こす。北京や昆明以外でも、小規模なものも含めれば相当な数のテロが起こっています。中国政府はこれらのテロを未然に防ぐために、警備員をものものしく配置して厳重に警戒しているわけです。北京だけじゃなくて、上海も南京も香港も、国全体で警備がすごい。これがいまの中国です。

「中国人」はハイブリット人種?

さて、中国人はかつて「漢人」と呼ばれていました。しかしこの漢人が純粋に存在していたのは、魏晋南北朝の時代までです。それ以降、中世以降の中国では、いわゆる純粋な漢人は存在しないんですね。

われわれ日本人について考えてみましょう。果たして、純粋な日本人は存在するのでしょうか。弥生時代の前半期ぐらいまではいたかもしれません。しかし弥生時代の中後期以降は、朝鮮半島から渡来人がたくさん渡ってきたり、中国からも九州経由で人が入ってきて彼らと混血していきました。それがいまのわれわれ日本人です。ですからわれわれの身体には、かならず中国人、朝鮮人の血が流れているわけです。いろんな民族の血が混ざっている。

中国人もまったく一緒です。純粋な漢人はいま存在しません。もっとも中国の国家統計局は、漢人が92%で、その他の民族が8%だといっていますけれど。実際には純粋な漢人が92%もいるわけはないんです。この92%の漢人は、ハイブリット化した混合人種といっていい。

この混合はどのように進んだのでしょうか。

中国の歴史を振り返ると、魏、呉、蜀の三国志の時代があって、西暦280年に中国を統一するのが晋王朝です。ここまでは漢人の王朝でした。そのまえには前漢、後漢という王朝があって、さらにそのまえには始皇帝の秦王朝があった。これらはすべて純粋な漢人によるものです。

しかし晋のあとの南北朝時代、4世紀以降に、北朝と呼ばれる地域にモンゴル人が入ってきます。彼らと中国人は言葉も見かけも違います。中国人はどちらかというと目が大きく丸い。顔は丸くて表情が濃いですね。しかしモンゴル人は正反対です。目は薄く小さい。表情も薄い。

このモンゴル人が、4世紀以降大挙して中国に押し寄せてきます。これ以降彼らが混血し始めていく。4世紀から5世紀のことです。

中国は漢人の国ではなかった

北朝のなかの北魏という国に、6代目の孝文帝という皇帝がいます。モンゴル人である彼でしたが、中国の文化に大変憧れました。遊牧民の自分たちモンゴル人の文化にくらべて、漢人の文化はきらびやかで、文学も絵画も音楽もすごいなと。

そして彼は中国人に憧れるがあまり、自民族に対してモンゴル語やモンゴル服を禁止し、中国人との婚姻を奨励しました。モンゴル人のエリート男性にはモンゴル人女性と結婚することを許さず、中国人と結婚せよと。そうすればモンゴル人は中国人になることができる。そう考えたんです。

この北魏のモンゴル人王朝が、その後の6世紀に発展して隋、唐といった国になっていくわけです。高校生の時皆さんも習っていると思いますが、これらは「中国人王朝」だと教わっていませんか? 厳密にいうとこれは間違いなんですね。隋の建国者である楊氏と、唐を建てた李氏はともにモンゴル人の鮮卑(せんぴ)族です。隋や唐というと中国の歴史を代表する王朝だと思われていますが、じつは中国人の王朝ではないということは理解しておくべきなんですね。