63年間に渡り棋士として「挑戦」を続け、引退後は“ひふみん”としてお茶の間の間で大人気の加藤一二三九段。今回、勝負、人生、そして家族について、自身の考え方を語り尽くした渾身の一冊『天才棋士 加藤一二三 挑み続ける人生』(日本実業出版社)が刊行されました。

新刊のテーマに込めた思いや、書籍の中で語られたエピソードの裏側について、加藤先生にお話を伺いました。(構成:吉川正弘)

―加藤先生は、引退後、初となるご著書を刊行されましたね。この本が、今までのご著書と違うところは何でしょうか?

いくつかあります。まず今回の本の副題を、「挑み続ける人生」としていまして、「挑戦」をテーマにした本にまとめさせていただいたということです。

―「挑戦」をテーマにされたのは面白いですね。

私は1954年(昭和29年)に14歳でプロの将棋の世界に入りました。そして将棋の世界では最高とされる、順位戦リーグA級八段(10名のみのリーグトップ層)に、最年少の18歳3ヵ月で昇段し、この記録は現在に至るまで破られていません。「神武以来(じんむこのかた)の天才」と呼んでいただいたこともあります。日本を建国したとされる初代天皇である神武天皇の世以来、最高の天才だ、という非常に大きな褒め言葉です。

「天才」と呼んでいただけるのもありがたいのですが、私はデビュー以来2017年(平成29年)までほぼ63年間、精進、挑戦を続けてきました。棋士の中でも最高峰の「名人位」にもなり、また実力制となってからは、私自身を除く歴代名人十二人全員との対局経験もあります。

こうした勝負の世界で63年近くの現役生活を続けられた私は、本当に幸せだと思います。それはまさに挑戦の歴史でもありました。その結果、初タイトルとなった「十段位」や、棋士になって以来の悲願だった「名人位」に就任したことは、棋士人生でも大きな喜びとなりました。

「加藤さんは、どうしてこれほど長く現役を続け、活躍し続けられたのでしょうか?」と質問されることも最近は多く、このご質問への答えを本に書こうと思ったのです。

―現役時代、加藤先生にとって最も大きな挑戦は何だったのでしょうか?

大きな挑戦もたくさんあるのですが、1つ挙げるなら、名人になったときのタイトル戦でしょうね。昭和57年(1982年)、相手は、中原誠名人でした。中原さんは作戦がうまいし、切れ味がとてもいい。苦しくなっても逆転する術が巧妙なのです。実は中原さんには8年間1回も勝てなかった時期があり、20連敗を喫したこともあって、大の苦手でした。中原さんには負け続けていたのですが、負ける理由が分からなかったのです。

しかし昭和45年にキリスト教の洗礼を受けてから、昭和48年の名人戦4連敗の後に、「あなたは今回負けましたが、いつの日か名人になれます」と神様がおっしゃったとしか思えない神秘体験をし、「自分は名人になれるんだ」と確信しました。

そして昭和57年にまた名人に挑戦することができたのですが、当時の中原さんはなんと名人戦で9連覇中。まさに絶対王者です。かつての常勝将軍の大山さんのような、常勝中原さんに対して、名人戦を挑んだのです。

4月13日から始まった名人戦は、通常7番(7局)勝負のところ、引き分けや指し直しがあったため、なんと全10局となって、7月31日の9時2分に終わった死闘となりました。10局を戦って、ついに私が名人になったのですが、あらゆる対局の中で空前絶後の大熱戦でしたね。

ここで思い出深い局面がいくつもあり、本書の中でもその時のエピソードを書かせていただきました。

―歴史に残る死闘の末の名人位獲得だったのですね。加藤先生が長年にわたり、勝負の世界で勝ち続けられた、心構えのようなものはあるのでしょうか?

旧約聖書に、「戦うときは勇気を持って戦え、敵の面前で弱気を出してはいけない、あわてないで落ち着いてことを進めろ」という言葉があります。これがまさに、将棋の4つの心構えに通じるのです。「勇気を持って戦うこと」「相手の面前で弱気を出さないこと」「あわてないこと」「落ち着くこと」です。

先ほどお話した昭和57年の名人戦の決戦前夜に、枕元の聖書を取ってパラパラをめくっていたら、その言葉を発見したのです。旧約聖書はイスラエル民族の歴史の書でもあります。イスラエル人が敵の民族と戦う時に当時の宗教指導者が敵に対峙してこの言葉を読むように言われていたのです。

指導者はこの言葉で兵士を励ましました。名人戦の決勝戦を前にしてピッタリの言葉だと思い、対局中何度も胸に言い聞かせながら、名人戦を戦いました。以来対局の際には、これらの4つの心構えを意識するようにしていましたね。