人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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泉岳寺と義士の供養墓

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2011/12/19 10:41

17日、泉岳寺に行ってみた。



泉岳寺


討ち入りのあった14日を過ぎていたが、週末とあって予想以上の人出があった。東海道の高輪大木戸から少し西側に入ったところに山門がある。今では山門のすぐ前まで大きな道となっているが、昔は東海道から参道が続いていたのだろう。

墓地には浅野家累代の墓もあるが、そちらを参拝する人は少なく、その隣にある義士の墓に詣でている。家老の大石内蔵助だけは別格で屋根のついた立派なもの。他の義士達の墓はぐるりと一周する形で並んでおり、入口で線香の束を購入した人達が次々と線香を供えて拝んでいく。



大石内蔵助の墓


討ち入りからすでに400年、最近では「忠臣蔵」という漢字さえ読めない人も増えているというが、それでもまだ義士達の人気は衰えていないようだ。

ところで、この義士の墓、48基あることはあまり知られていない。吉良邸に討ち入ったのは47人、うち泉岳寺に行ったのは46人である。途中で抜けた寺坂吉右衛門は、討ち入りの顛末を浅野家に報告するために一行と離れたといわれている。

討ち入りから45年後に83歳の天寿を全うして曹渓寺に葬られたが、幕末に他の義士とともに供養墓が建てられた。

そして、一番入口にある48番目の供養墓は萱野三平のものだ。萱野は志士の一党だったが、討ち入りを知らない父から吉良家の関係のある家への仕官を強く勧められ、進退きわまって切腹した。やはり、あとから義士墓に入れられている。



萱野三平の墓


萱野三平は、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」ではお軽と駆け落ちしたが、誤って舅を殺害したと勘違いして切腹する早野勘平のモデルである。
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