人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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東海道を歩いてみた(7) 平塚〜二宮

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2009/10/13 13:06

平塚宿を過ぎ、金目川を渡ると、前方に高麗山が見えてくる。広重の「東海道五十三次」の平塚宿には道の向こう側にお椀を伏せたような山が描かれている。これは広重独特の誇張だと思っていたが、本当にこういう形をした山で驚いた。



高麗山


平塚宿と大磯宿は近く、高麗山の麓で線路を渡るともう大磯宿だ。この付近は1号線から離れて旧道なのだが、なんと線路を渡る部分が地下だった。戸塚宿の近くに階段の東海道があったが、こんどは地下道の東海道である。なんとも興醒めだが、これを除けば、この付近は結構東海道の趣が残っているところであった。



東海道(地下道)


再び1号線に合流して少し歩くと、道路沿いに鴫立庵がある。ここは、西行法師が「こころなき 身にもあはれは知られけり 鴫立沢の秋の夕暮」と詠んだところだ。西行の歌は、鴫が飛び立っている沢、という意味だろうが、いまでは「鴫立沢」が地名になっているようだ。



鴫立沢


さて、大磯から二宮の間はひたすら国道1号線を歩く。夕暮に、ほとんど何もない真っ直ぐな国道を歩くのはつらい。しかも、この日は雨も降り出して最悪だった。

なんとか二宮についたが、平塚〜大磯間に比べて、大磯〜二宮間はかなり遠く、予想以上に時間がかかった。江戸時代の旅人は、歩く速さや疲れ具合、さらに天候や、次の宿場までの距離を勘案しながら、その日泊る場所を決めなければならず、「先達」といわれる人達が活躍したのだ。
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