人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

●サイト(オフィス・モリオカ)
  → https://office-morioka.com/
●ツイッター
  → http://twitter.com/h_morioka
●facebookページ
  → https://www.facebook.com/officemorioka/
●Instagram
 → https://www.instagram.com/office_morioka/

 

苗字制定記念日

このエントリーをはてなブックマークに追加

2009/02/09 10:26

2月13日は“苗字制定記念日”である。あまり知られていないこの記念日は、明治8年2月13日に平民苗字必称義務令が出されたことに由来する。

毎年、この時期になるといくつかの媒体から名字関連の問合せがくる。内容はたいしたものではなく、「ベストテンを教えてほしい」「名字の総数はいくつなのか」「日本は世界一名字が多いのか」「名字のルーツはなにか」といったオーソドックスな質問がほとんど。テレビや雑誌のちょっとした話題として雑学ネタを入れたい、ということだろう。

ところで、江戸時代に名字があったのは武士だけ、と思っている人は多い。今でも小学校でそう教えている先生もいる。そのため、武士以外の人達は、この法律の布告によってむりやり名字をでっちあげた、と思っている人が多いのだ。

しかし、江戸時代には武士以外も名字を持っていた、というのは今や常識。それ以前、室町時代の農民に名字が記載された資料も見つかっているし、江戸時代の商人の墓には名字を彫り込んでいるものも珍しくはない。

では、教科書が間違っているのか、というそんなことはない。教科書には「武士だけが名字を名乗ることがができた」と書かれてある。言い替えれば武士以外は名字を名乗ることが「できなかった」のだ。このサラっとした表現から、「なかった」と「できなかった」の違いを読み取ることは、小学生に至難の技だろう。

実は、これ以前の明治3年に「平民苗字許可令」が出されており、平民も名字を公称することができるようになっていた。しかし、「できる」と「しなければならない」の差は大きく、日常生活には浸透しなかった。そのため、この新たな法律をもって名字を名乗ることが“義務”とされたのだ。

もちろん、それまで名字を持っていなかった人もいたし、あえてそれまでとは違った新しい名字を考えて登録した人もいる。ただ、明治新姓が圧倒的多数を占めている、ということは決してない。
このエントリーをはてなブックマークに追加

ページのトップへ