日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

2026/10/13 10:31

久しぶりに山陰を訪れた。米子鬼太郎空港は3度目の訪問。バスで米子駅に出て、山陰線でまずは上淀廃寺跡に。しかしここは交通の便が悪い。飛行機の遅れもあって予定の列車に乗れず、1時間半待って淀江駅へ。さらにここから30分ほど歩くと上淀廃寺跡が見えてくる。

列車の待ち時間に米子駅の観光案内所で「上淀廃寺跡はいまヒガンバナが盛りなのでお勧め」と言われたように、廃寺跡には一面にヒガンバナが植えられ多くの人が訪れていた。「上淀廃寺跡」という地味ながら貴重な遺跡を市民に親しんでもらうためには有効な手段なのだろう。
この日の目的はもう一つ。ここからさらに30分ほど歩くと妻木晩田遺跡がある。これで「むきばんだ」と読むかなりの難読地名である。この遺跡が発掘されたのは20世紀の末。従って、当然筆者は学校では習っていない。ゴルフ場などのリゾート施設開発中に発見され、1999年に国の史跡に指定された。
吉野ヶ里遺跡の2倍以上という広大な弥生時代の集落跡で、竪穴住居だけでも400棟以上、掘立柱建物跡も500棟以上も見つかっており、1つのクニだった可能性もあるという。吉野ヶ里遺跡や三内丸山遺跡などもそうだが、筆者が学生時代に倣った「古代史上の重要な遺跡」はほぼすべて書き換えられているといえる。
すでに遅い時間になっていたため、ボランティアガイドの岸本裕さんに駆け足で説明して頂いた。一番驚いたのは、竪穴住居の屋根は茅葺き(草葺き)ではなく、その上に土をかけた「土屋根(土葺き)」が見つかったということだ。しかも発掘されているのはまだ一部にすぎず、今後の発掘次第ではまだまだ新発見が出てくる可能性もある。その後、岸本さんに米子まで送っていただきこの日は終了。

歴史は変わらない思っている人も多いがそんなことはない。20世紀に習った古代史と現代の古代史はとんでもなく違っている。歴史好きの人こそ現地を訪れて情報をアップデートしてほしい。
