日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

2026/08/18 10:41

所用で錦糸町に出かけた際、地下鉄半蔵門線で一駅隣の住吉駅で降りてみた。この住吉、昭和9年に深川区の猿江裏町、猿江東町、本村町の3町が合併した際に縁起がいいという理由で付けられた新しい地名である。現在、駅周辺は「住吉」だが、その北側は「毛利」、南側は「猿江」という。
「猿江」とは不思議な地名である。この付近はかつては海沿いの村で江戸時代に埋め立てられた場所である。こんな山から遠い埋立地にサルが出るはずもない。
住吉駅から南に300mほど行ったところにある猿江神社に「猿江」の由緒が書かれていた。



平安時代後期、源頼義・義家父子が奥州征に遠征した際、家臣の「猿藤太(さるのとうた)」という武士が、当時入江だったこの地で亡くなったという。そこで地元の漁師たちが手厚く葬って猿藤太の「猿」と入江の「江」で「猿江」にしたという。
なお、江東区のサイトでは少し違い、入江に「源義家家臣猿藤太」という名入りの鎧が打ち寄せられたことに因むとある。いずれにしても、「猿」は「猿藤太」という人名に由来しているとのことだ。
そもそもこのあたりは、入江や埋め立て地で元々の地名はなく、近世になってつけられた地名も多い。地名と名字が一致する場合は原則地名から名字になっているが、地名がなかったこの付近では人名から地名になったものも多い。
住吉駅北側の「毛利」という地名も人名に由来する。「毛利」と聞くと長州藩主の毛利家を浮かべるがそうではなく、紀伊国の出という江戸・麹町隼町(千代田区隼町)で伊勢屋と号した豪商にちなんでいる。江戸時代中期の享保年間、この付近を埋め立てて畑にする計画が持ち上がった際に、毛利家が私費で埋め立てて開発したことから、毛利新田と呼ばれるようになったものである。