日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

2026/03/10 10:42

3月1日、この日が最終日であった千葉市美術館「ロックフェラー・コレクション花鳥画展」を観たあと、足を伸ばして千葉市蘇我を訪れた。「蘇我」という地名は、関東地方の人にとってはJR京葉線の「蘇我行」という表示でおなじみ。京葉線の舞浜駅は東京ディズニーランドの最寄り駅で、目にしたことのある人も多いだろう。
さて、「蘇我」というと古代豪族の蘇我氏を思い浮かべる。しかし、蘇我氏の本拠は大和国(奈良県)。どういう関係があるのだうか。
蘇我駅があるのは、地名でいうと千葉市中央区今井。「蘇我」という地名は蘇我駅から南に向かって数分ほど歩いたあたりである。そこには蘇我小学校があり、さらにその南の蘇我比咩神社に由来が書かれていた。
日本武尊命が東征して相模国から上総国に海を渡ろうとした際、日本武尊命の大言が龍神の怒りに触れて嵐に会い、同行していた弟橘姫が海中に身を投じて一行を救った話は有名だ。
その時に一緒に身を投じたなかに蘇我大臣の姫(比咩)がおり、この姫がこの地の海岸に流れ着いて里人の手厚い看護で蘇生したと伝える。その後、里人達が日本武尊命を神として祀って春日神社を建立、応神天皇のときに蘇我氏の一族をこの地に派遣したという。
地名はこの蘇我比咩神社に由来するとも、古代にこの神社に奉仕した蘇我部に因むともいう。中世には「曽加野(そがの)」と書かれ、幕末ここに藩庁を置いた藩は曽我野藩といわれた。そして、明治23年の町村制施行の際に曽我野村となり、昭和12年に千葉市に合併した際に「蘇我」と改められている。