日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2025/09/30 09:51
小原宿
神奈川県に江戸時代の街道の本陣がいくつ残っているかご存じだろうか。神奈川県に東海道が通り、川崎宿から箱根宿まで9つの宿場があったが、残念ながら本陣は1つも残っていない、唯一現存するのが甲州道中の小原宿である。現在の相模原市緑区、駅でいうと中央本線の相模湖駅にある。
中央本線は甲州道中と並行して通っており、東京都から山梨県に抜ける際に、相模湖、藤野と2駅だけ神奈川県を通過する。相模湖駅の付近は相模原市に合併前は相模湖町で、さらにその前は与瀬町といい、駅名も与瀬駅であった。そして、ここには与瀬・小原の2つの宿場があった。
相模湖駅を降りて右手にまがり、500mほど歩いたところに与瀬宿本陣があったという。ガイドブックやネット上には「与瀬宿本陣」と書かれた道標の写真が掲載されているが、どう探しても見つからない。たまたま通りかかった地元の方に聞いても「わからない」という。
さらにしばらく付近を探索すると、看板がくくりつけられている木の表面が削られており、何やら道標っぽい。まわりの雰囲気も掲載されている写真とよく似ている。このあたりは宿場の形跡もなくなっており、本陣跡もあとかたもない。
一旦駅に戻り、今度は左手(東京側)に1kmほど歩くと、かつての宿場の雰囲気が出てくる。ここが小原宿である。そしてここには神奈川県唯一の本陣が残されている。
しかし、小原宿と与瀬宿は2km(半里)ほどしかなく近い。これは、片継の宿だったからだ。片継の宿とは一方向のみの宿場で、小原宿は江戸方面から来た人が利用した。一方、甲府方面からの人は与瀬宿を使用し、両宿合わせて1つの宿場として機能していた。
この小原本陣が県内で唯一現存する本陣として観光地化しており、11月3日の文化の日には本陣祭も開催される。そのため、相模湖で宿場といえば小原宿を指すようになり、与瀬宿や本陣は忘れ去られているようだ。