人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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蜂須賀正勝と前田利家のルーツ

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2025/05/13 10:11

若き秀吉の盟友・蜂須賀正勝(小六)と前田利家のルーツの地も勝幡の近くにある。

勝幡城のあった勝幡駅から名古屋駅方面に1駅戻った青塚駅で降りて、北に少し歩いたところが、あま市蜂須賀である。ここが蜂須賀小六のルーツの地である。

蜂須賀の街並み

蜂須賀氏はこの地の土豪で、清和源氏斯波氏の一族というもののよくわからない。正勝は木曽川筋の川並衆を率いており、豊臣秀吉の墨俣城築城に活躍して、以後織田信長に仕えた。のち秀吉の家臣となり、江戸時代子孫は徳島藩主となった。

前田利家は荒子城主前田利昌(利春とも)の四男である。荒子城があったのは、名古屋市営地下鉄東山線の終点高畑駅から南東に数分ほど歩いたところ。あおなみ線の荒子駅や南荒子駅からも歩いていける。

この前田氏は菅原姓で美濃国安八郡前田(現在の岐阜県安八郡神戸町)の出というが、父利昌以前はよくわからない。

荒子城の西、庄内川を渡ったところに前田村(現在の名古屋市中川区)があり、ここには前田城に拠る前田与十郎という武士がいた。与十郎家は荒子前田家の本家筋にあたると思われるが、その関係ははっきりしない。利家にも、前田城で生まれて7歳のときに荒子城に転じたという説もある。

利家は四男であったことから家を継がず、信長の小姓となっていた。のち兄から家督を譲られ、やがて秀吉の家臣となって加賀百万石の基礎を築いた。前田与十郎家の子孫も江戸時代には加賀藩家老となっている。

現在、前田城の跡は前田速念寺となっており、門前に前田城址の碑が建てられていた。一方、荒子城の跡には富士権現社が建てられており、両城を結ぶ「犬千代ルート」が設定されている。

前田城址の碑
荒子城址にある富士権現社

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