日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

2026/05/12 00:23

東海道から戻った後は長崎に出かけた。長崎空港からリムジンバスで市内に入り、初日は出島、大浦天主堂、グラバー園と定番のスポットを回る。大浦天主堂とグラバー園は高校の修学旅行で来ているのだが記憶がない。覚えているのは坂道を登った、ということくらい。
市内に1泊して、翌日からが今回の旅の目的。JR長崎本線で諫早に出て島原鉄道の1日乗車券を購入し、島原半島方面にでかけた。島原鉄道は始発の諫早駅ではかなり混んでいる。
ところが1つ目の本諫早駅で乗客の半分近くが下車。時刻表をみると2本に1本が本諫早駅止まりである。どうやら町はずれにあるJR諫早駅と、諫早市の中心部を結ぶ路線としての機能が大きいようだ。その次の幸駅から先はローカル鉄道となる。
最初に降りたのは神代(こうじろ)駅。長崎県雲仙市国見町に属する神代は、江戸時代は佐賀藩の所領だった。今では県が違うため違和感があるが、江戸時代は同じ肥前国であった。とはいえ、飛地であることには違いない。
南北朝時代以降ここには神代城に拠る神代氏がいたが、戦国時代末期に滅亡。その所領が豊臣秀吉によって鍋島直茂に与えられ、江戸時代に直茂の兄信房が領主となって移住し、神代鍋島家と称した。家禄6200石余という藩を代表する重臣の1つである。

神代鍋島家家臣の住まいは、現在も神代小路として残されている。小路沿いの水路には美しい水が流れ、道の両側には趣きある武家屋敷が立ち並んだこの地区は、重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に指定されている。

小路の入口近くに神代鍋島家の旧鍋島邸もあった。小路に面した正面には慶応元年(1865)に完成した長屋門と30mの石塀が堂々と立つ。立派な唐破風の玄関の主屋を中心に、長屋門や蔵など敷地内の建物のほとんどが国指定重要文化財となっている。

小路の奥の永松邸ではボランティアの方の説明を受けた。さらにその奥には神代鍋島家の墓所である下坊墓地がある。
