人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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鵜沼城主大沢次郎左衛門とは

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2026/02/03 10:49

(画像はNHK公式サイトよりキャプチャ)

1日の大河ドラマ「豊臣兄弟!」は、鵜沼城主大沢次郎左衛門が中心の回であった。鵜沼は現在の岐阜県各務原市にあり、江戸時代以降は中山道の鵜沼宿として栄えた。戦国時代には木曽川を挟んで犬山城の対岸にある鵜沼城に大沢氏が拠り、斎藤氏に従っていた。

このあたりは鵜飼で有名なことから、「鵜沼」という地名も鵜に因むものと思いがちだが、古い時代には宇留間・売間などと書かれ、「うるま」と読んでいたらしく、「駅家(うまや)」が由来という説もあるようだ。

この頃の秀吉については確かな資料は乏しく、大沢次郎左衛門についても実はよくわかっていない。大沢氏も地元をルーツとする武士ではなく、和泉国から移り住んできたと伝える。

永禄年間に織田信長の攻撃で落城したが、この落城の経緯については諸説あり、そのうちの1つが秀吉による調略で最も有名なものだ。結局この調略はうまくいかず、信長に殺されそうになった次郎左衛門は秀吉によって逃がされたという。

以後、大沢次郎左衛門は確かな史料には見えず消息はよくわからない。しかし、本能寺の変で信長が横死すると再び秀吉の家臣として登場していることから、信長の目の届かないところで秀吉と次郎左衛門の間には何らかの関係が続いていたのだろう。このあたりがどう描かれるかにも注目である。

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