日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

2025/12/09 10:12

海柘榴市のあとは談山(たんざん)神社を訪れた。談山神社は中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足(のちの藤原鎌足)が蘇我氏打倒の密談を交わしたという多武峯山にあり、談山神社の主祭神は藤原鎌足である。現在は紅葉の名所として知られ、多くの人でにぎわっていた。
談山神社の次は南下して吉野に入り、十津川村の谷瀬の吊り橋を渡ってみた。ところで奈良県の南部は「吉野」というが、吉野の面積は想像以上に広い。イメージ的には談山神社などのある桜井市は奈良の南部という感じだが、実際には桜井市でも奈良県の中央よりは北にある。そして、その南部にある吉野郡だけで実に奈良県全体の半分を占めている。
さて、谷瀬の吊り橋は昭和29年に川向うにある谷瀬の住民がお金を出し合って建設したというもので、297mもの長さがある上に、高さは54mと高く、渡ると大きく揺れる。さらに床板は4枚しか敷いておらず、板の両脇からは下を流れる十津川の流れがみえている。さらにところどころ板の色が違うのは、朽ちてはりなおしたものか。
本来は生活用の橋なのだが現在では観光地化しており、訪れた時も観光バスが来ていた。吊り橋には安全のため一度に20人以上は乗らないようにとかいてあるものの、観光バスが来るとどうみても20人以上が橋を渡っている。因みに橋の通行料は無料だが、駐車場は有料。
このあとはさらに南下し、玉置神社まで足を延ばした。玉置神社は十津川村南部、三重県との県境に近い玉置山の山頂近くに鎮座し、江戸時代には熊野三山の奥の院ともいわれた日本最古の霊場の一つである。

驚いたのは、「神々に呼ばれないとたどり着けない」ともいわれるほどの山奥にありながら、近年パワースポットとして人気らしく、結構な参拝者がいたことだ。駐車場からは果無山脈を望むことができ、熊野の奥深くに来たことが実感できる。なお、駐車場からは結構歩く上に、日没が早いことから遅い時間の参拝は避けたほうがいい。