人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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安倍内閣閣僚の名字

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2006/10/02 10:56

 26日に発足した安倍内閣の閣僚、特に珍しい名字は法務大臣の長勢くらい。この名字は富山県と北海道にある。現在は北海道の方が多いが、入植元は富山県。特に魚津市に集中しており、このあたりがルーツであろう。

一方、名字的に気になるのが、経済産業大臣の「甘利」という名字である。一般的には「甘利」という名字はあまりなじみがない。しかし、戦国時代に詳しい人にとっては、よく見るものだ。というのも、武田信玄の重臣に甘利氏があったからだ。

甘利氏は武田氏の支流で、山梨県韮崎市にある甘利という地名がルーツ。武田一族の一条忠頼という人物の二男がこの地を領して甘利と名乗ったのが祖である。しかし、一条忠頼は源頼朝に処罰された際に連座し、その後はよくわからない。

ところが、この甘利氏、戦国時代に復活する。甘利虎泰・昌忠親子が、武田信玄の重臣として活躍したのだ。父の虎泰は武田信玄二十四将の一人としても有名。

武田氏が滅亡した後、家臣達には各地の大名から引き合いがあった。特に徳川家康は彼らを大量に抱え、旗本には旧武田家の遺臣という家がたくさんある。そうした中、甘利氏の一族は甲斐を逃れて神奈川県愛川町の半原地区に逃れ、ここで土着したという。子孫は津久井郡から厚木市にかけて広がったといわれ、半原地区には現在も、相模甘利一族の総本家という家が残っている。

今回大臣となった甘利明氏は父・正のあとを継いだ二世議員。生まれは厚木市で、虎泰の子孫と伝える厚木地区の甘利一族の本家的な家柄である。

なお、甘利一族はかつて内紛があり、その際一部が「天利」に変えたとされ、厚木市や寒川町には「天利」姓がある。しかし、「天利」一族では、「天利」に変えた方こそが本家である、と伝えている。

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