人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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八王子千人同心

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2013/06/03 17:54

横山塔のある妙薬寺の前に道を西に進み、国道16号(東京環状)、秋川街道を越えると甲州街道に合流する。ここが甲州街道と陣馬街道の追分で、交差点近くには道標が復元されている。この追分を陣馬街道に入ったところの新道と旧道の境目に、八王子千人同心の立派な碑がある。



八王子千人同心の碑


八王子千人同心とは、江戸時代八王子に住んだ半農半武士の人達のこと。10家の千人頭の下に100人ずつの千人同心がおり、計1000人いたため千人同心と呼ばれる。千人頭は武田氏の旧臣で、千人同心は近郊の郷士や豪農なども多かった。

本来は八王子に住んで西からの脅威に備えたものだったが、甲斐国が天領となったことでその役目は薄れ、やがて日光東照宮を警備する日光勤番などが主な仕事となっていた。

江戸時代後期には、半農半武士という特徴から、幕府によって蝦夷地の開拓にも駆り出されている。冬の厳しい寒さのために本来の役目は果たせなかったが、現在の苫小牧の基礎を築いたのは、彼ら千人同心であった。

また、江戸時代中期の経済官僚である荻原重秀は千人頭の出である他、新撰組の近藤勇の出た近藤家も千人同心である。

この付近から西八王子駅前にかけては、現在は八王子市千人町という地名になっている。
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