人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、本当?と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

著書は『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など多数。

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篤姫の出自

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2008/01/08 11:50

今年のNHK大河ドラマは「篤姫」。一般的には「天璋院」といわれることが多く、三省堂「コンサイス人名事典」や「朝日日本歴史人物事典」「新潮日本人名大辞典」などでも、すべて「天璋院」で立項されており、宮尾登美子の原作も「天璋院篤姫」となっている。

さて、篤姫は徳川家第13代将軍家定の正妻である。形式的には公家・近衛家の娘として嫁いできたが、それが仮の姿であることは、当時からわかっていたこと。徳川将軍家と釣り合うような家はそうそうなく、そうした家の実子だけで縁組みを続けていくことは難しい。

篤姫は、名君として知られた薩摩藩主島津斉彬の娘で、近衛家の養女という“名目”で嫁いできた。従って、婚礼の道具にはすべて島津家の紋である「丸に十字」が記されていた(近衛家の紋も一緒に入れられたという)。

しかし第1回放送でもあったように、実際には斉彬の娘でもなく今和泉島津家の生まれ。といってもアカの他人というわけではない。斉彬の叔父忠剛は聡明な人だったが、七男の上に病弱だったことから、一門で指宿領主の今和泉島津家を継いでいた。篤姫はその長女で、斉彬には従妹にあたる。

斉彬は、将軍家に嫁がせるに先立ち、篤姫を実子として届けて出ている。「国許で生まれた娘で、やむを得ず分家にて養育していたが、今回本家に戻す」として届け出て受理されているのだ。しかも、天保7年生まれを天保6年生まれと偽って届けを出している。これは、1年おきに江戸と国許を往復する参勤交代を考えると、天保6年でないと国許で娘は生まれない、というところまで計算した上での用意周到なウソなのだ。

実際、正式資料である「島津氏正統系図」では、篤姫は天保6年生まれの斉彬の長女となっている。系図だけを頼りに歴史を見ていくと、思わぬ落とし穴にはまることもあるのだ。
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