人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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ひな祭りとひな飾り

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2007/03/05 09:58

3月3日はひな祭り。各地でいろいろなひな祭りが行われた。兵庫県朝来市の旧生野町では、町内90ヶ所の民家や商店で、飾ったひな人形を自由に見てもらう“銀谷のひな祭り”があった。

ひな祭りの起源ははっきりとしないが、平安時代の貴族の間ではすでにあったという。しかし盛んになったのは江戸時代からで、ひな飾りが嫁入り道具の一つとされたことから、次第に豪華なものが生まれてきた。

有名なのは山形県酒田の大地主である本間家のひな飾り。本間家は酒田の豪商として栄え、明治時代には日本一の大地主といわれていた。「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」と俗謡に謡われるなど、大名以上の資産を持っていたという。なにしろ、寛政年間には貸しつけている金だけで54,000両もあり、明治時代には酒田市に納められる租税収入の四分の一は本間家一家だけで払っていたというから、並み大抵の地主とは桁が違う。
この本間家、ルーツは神奈川県厚木市の地名で、武蔵七党の一つ、横山党本間家の一族だが、酒田本間家では村上天皇の末裔で村上源氏としており、はっきりとしない。

ともあれ、厚木の本間一族が佐渡に渡って佐渡本間氏となって栄え、今でも佐渡には本間姓が非常に多い。この分家に出羽本間家があり、さらに分家した本間原光という人物が酒田で商人として成功したのが、酒田本間家の祖。時代でいえば江戸中期の元禄時代のことである。大地主というと、先祖代々住んでいたと考えがちだが、酒田本間家は江戸中期になって酒田で成功した新興地主なのだ。

戦後の土地開放などもあって、現在ではそれほどの大地主ではないが、別邸が本間美術館として公開されており、往時をしのぶことができる。特にこの時期に展示される、たくさんのお付きを従え次の間まで広がるひな飾りは圧巻。

最近では、本間美術館を中心に“庄内ひな街道”と銘打って、酒田市・鶴岡市を中心に各地でひな飾りを展示公開して、観光客を誘致している。
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