人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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飯田線秘境駅探訪 その1

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2006/09/04 12:36

 前回のブログで、尾張森岡訪問記を書いたが、その日は三河安城で1泊し、翌日は飯田線に乗りに行った。
 飯田線は愛知県の豊橋から静岡県の佐久間に抜け、ここから天竜川沿いに伊那谷を上って長野県の岡谷に至る、日本を代表するローカル線の一つ。この途中に、「大嵐(おおぞれ)」「小和田(こわだ)」「中井侍(なかいさむらい)」と3駅続く秘境駅があることで知られている。
 秘境駅とは、ただ秘境にある、というだけでなく、駅でありながら、集落や一般道との連絡が極端に悪い駅のことで、牛山隆信著「秘境駅へ行こう!」で有名になったものだ。3駅とも降りてみたかったのだが、なにせ2時間に1本しか電車のこないローカル線のため、降りることのできるのは1駅だけ。「大嵐」「中井侍」という駅名にはかなり惹かれたものの、今回はこの中でも最も秘境である「小和田駅」を訪ねることにした。

 飯田線は豊橋−豊川間は都市郊外の通勤通学線らしく、新城あたりまでもごく普通のローカル線。長篠の合戦で有名な本長篠駅を過ぎたあたりから山中深く分け入るようになる。
 県境を越えて静岡県に入ると天竜川に出合う。まもなく天竜川は二股に分かれ、電車は右側の川幅の広い方に沿って進む。こちらが天竜川の本流のように見えるが、実は本流は左側。上流に佐久間ダムができたため、支流の方が川幅が広くなっているのだ。
 まもなく、広い構内を持つ中部天竜駅に着き、まずはここで下車。飯田線に乗っていた数少ない乗客のうち、かなりの人が下車した。ここは、この付近で一番大きな旧佐久間町(現在は浜松市に編入)の町に近いということもあるが、下車客の殆どは子ども連れ。目的は駅に隣接している“佐久間レールパーク”だ。

「中部天竜駅」構内

 ここには、古い客車など、本物の列車をそのまま保存してあり、“鉄ちゃん”にとっては一度は訪れたいところ。今はなくなった0系新幹線の運転席に座ることもできる。次の電車までは1時間半あることから、ひとしきり遊んだ後、まだ時間は早いが腹拵え。なにしろ、このあとは食事のできそうな場所はない。

懐かしの「0系新幹線」

 中部天竜を出て5つめが水窪駅。ここをを過ぎると、もはや人家は見えない。水窪駅からは郵便配達の人が乗り込み、次の大嵐駅で降りて行った。この付近、鉄道は天竜川の東岸の静岡県の旧水窪町(浜松市に編入)を走っているが、道路は西岸の愛知県側にある。大嵐駅のところだけ橋が架かっているため、愛知県側からは駅に来れるが、水窪町の中心集落からは道がないのだ。電車で郵便を配達する地域というのは他にあるのだろうか。
 降りたいのを我慢して乗り続けると、まもなく長いトンネルに入る。これを抜けるといよいよ目的の小和田駅だ。
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