人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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甲斐善光寺

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2014/12/01 10:44

一通り甲府市内を回った後、電車でJR善光寺駅に向かった。
ただ、善光寺といっても有名な長野の善光寺ではない。長野の善光寺には善光寺駅はない。最寄駅は長野電鉄の善光寺下駅である。JRの善光駅があるのはJR身延線に乗って甲府駅から3つ目、ホームが一面だけの小さな無人駅だ。



JR善光寺駅


永禄元年(1558)、武田信玄は川中島の合戦の際に信濃善光寺の焼失を恐れ、御本尊善光寺如来をはじめ、諸仏寺宝類を甲斐に移して新たに善光寺を創建した。このため、信濃の善光寺と区別して甲斐善光寺と呼ばれている。



甲斐善光寺


この地に新たに善光寺を建立したのは、信濃善光寺の開基に関わる本田善光の墓が近くにあるからだといわれる。甲斐善光寺の本堂や山門は国指定重要文化財でもある。

武田氏滅亡後、本尊は各地を転々としたのち、慶長3年(1598)に信濃の善光寺に帰座したが、甲斐善光寺は以後も信仰を集め、江戸時代には門前町が形成された他、現在でも参拝の多い時期には特急が停車することもある。

なお、JR身延線は本数が少ないため利用しづらく、本数の多い中央本線の酒折駅からも歩いていくことができる。ちなみに、本田善光は長野県飯田市座光寺の人で、ここにはJR飯田線の元善光寺という駅もある。
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