人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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甲府界隈(2) 武田神社

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2014/11/10 11:23

甲府城跡の櫓の上に登って北の方角をみると、甲府駅越しに武田神社がみえる。



武田神社入口





甲府駅前からまっすぐ北に伸びる道を行くと、途中に武田という地名がある。ただし、ここは武田氏のルーツではない。武田氏のルーツは以前このブログでも紹介したように、茨城県ひたちなか市の武田だ。

そして、この道は1キロ強で行き止まりとなり、その終点にあるのが武田神社である。

武田信玄は戦国大名にもかかわらず、居城を持っていなかった。駅前の甲府城跡も江戸時代の甲府藩の城跡であり、武田信玄が居城していたわけではない。武田氏は信虎・信玄・勝頼と三代60年にわたって躑躅ヶ崎館に住んでいた。

武田神社はこの躑躅ヶ崎館跡に建てられた神社である。三方を険峻な山に囲まれた甲斐国では、その地形が天然の要害となって、他国から攻め込まれることはなかった。

天正9年(1581)、武田勝頼は織田信長軍の侵攻に備えて躑躅ヶ崎館を出、韮崎に新府城を築城して拠ったが、これを契機に内部崩壊してあっけなく滅亡した。戦国大名武田氏は、城に拠ったことで滅んだのだ。

武田神社が創建されたのは大正8年と比較的新しいが、現在では甲府を代表する観光地でもあり、地元住民による武田二十四将の騎馬行列が行われるなど、市民に親しまれている。
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