人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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甲府界隈(1) 武田信玄像と甲府城跡

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2014/11/04 11:32

先日、といってももうかなり前になってしまったが、甲府界隈をぶらぶらとして来た。とくに何か目的がわったわけではなく、使用済みのJR東日本乗り放題切符の期日に余裕があったから。各駅停車のみで日帰りで行ける範囲でどこか面白そうなところを、と考えてとりあえず甲府に行ってみることにした。

南口で信玄の銅像をみたあと、南口前の甲府城跡に行ってみた。山梨県は、沖縄を除いて、全国で唯一幕末の時点で大名が一人もいなかった県だ。北海道にも松前家があり、対馬や五島列島といった離島にも大名がいたにもかかわらず、江戸にちかい甲斐国には大名はいなかった。



武田信玄像



甲府城跡


江戸時代初期には徳川家が藩主をつとめる甲府藩があったが、藩主綱豊(のちの家宣)が五代将軍綱吉の跡継ぎとして江戸に転じ、そのあとに藩主となった側用人の柳沢吉保ものちに大和郡山に転じた。

以後、甲斐国は天領となり、大名が置かれることはなかった。さらに享保年間には大火で城が焼けて再建されることもなかった。

明治17年日本にも華族制度ができ、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵という爵位が定められた。この時、大名は原則子爵以上となったため、どの都道府県にも華族が生まれたが、大名のいない山梨県だけは、この時点では華族が一人もいなかった(のちに誕生している)。
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