人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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黒田官兵衛と櫛橋氏

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2014/01/27 13:42

大河ドラマ「軍師官兵衛」でもう1回。

26日の第4回目の放送で官兵衛は家督を継ぐことになり、櫛橋伊定(ドラマでは左京亮)の娘光を娶った。この回はほぼ櫛橋一族との関係についやしたが、それだけ官兵衛の生涯にとって櫛橋氏と光の影響は大きかったといえる。

播磨の櫛橋氏は黒田氏よりも古い氏族である。藤原北家糟屋氏の一族に、神奈川県伊勢原市の地名をルーツとする北条氏家臣の櫛橋氏があった。播磨の櫛橋氏はこの一族とみられ、『太平記』にも六波羅方の武士として櫛橋次郎左衛門尉や同三郎左衛門尉の名がみえるなど、鎌倉時代末期にはすで播磨に根を下ろしていた一族である。

南北朝時代以降は赤松氏に属していたが、その没落は志方城(加古川市志方町)に拠って自立、戦国時代には小寺氏に属していた。

のち、官兵衛は主家小寺家ともども西播磨の豪族ととともに織田家に仕えたが、天正6(1578)年に別所氏が叛旗を翻すと、櫛橋氏も別所氏に属してしまう。結局、別所氏は豊臣秀吉に滅ぼされるのだが、櫛橋一族は光の父伊定が自害することで許され、兄伊則の末裔はのちに黒田家の家臣となって続いた。

なお、名前の「光」の読み方はドラマでは「てる」だが、「みつ」であるともいわれる。

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