人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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全国都甲会

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2013/06/24 10:06

最近、同じ名字の人の集まりである一族会のニュースをしばしば目にする。少し前になるが、熊本日日新聞に全国都甲会の記事が掲載されていた。

「都甲」という名字は全国順位が5000位をちょっと下回るあたり。順位的には珍しいものではないが、大分県を中心に、隣接する福岡・熊本・宮崎の4県に集中していることから、九州以外の人にとっては珍しい名字といえる。

ルーツははっきりしていて、豊後国国東郡都甲荘(大分県豊後高田市)が発祥地。

豊後に古代から栄えた大神氏の一族で、鎌倉時代は幕府の御家人となっていたという由緒ある家柄。元寇の際には、蒙古軍を鷹島まで追った他、南北朝時代には北朝方に属して各地を転戦するなどの活躍をみせたが、室町時代になると次第に勢力が衰えていき、戦国時代には戦国大名大友氏の家臣となっていた。

しかし、秀吉政権下の文禄3年(1593)に主家大友氏が改易。都甲氏も帰農したものが多いらしく、江戸時代には庄屋クラスに農家に都甲氏の名がみえる。

一族の都甲太兵衛も浪人したが、のちに熊本藩初代藩主となる細川忠利の小姓となって仕え、熊本藩士となった。その生涯については、森鴎外の短編「都甲太兵衛」に詳しい。

なお、地名は「とごう」だが、名字は「とこう」と「とごう」に分かれている。
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