人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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筒井一族のルーツ

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2013/05/07 15:34

近鉄橿原線に筒井という駅がある。とくにどうということもない小さな駅だが、ここは戦国大名筒井氏のルーツで、筒井姓の発祥地でもある。



筒井駅


筒井氏のルーツははっきりしない。発祥地は大和国添下郡筒井郷(現在の奈良県大和郡山市筒井)なのだが、室町時代中期以前のことがよくわからないのだ。

江戸時代の幕府の公式史料である『寛政重修諸家譜』では藤原氏の末裔としている他、江戸時代の資料では藤原氏の一族というものが多いが、現在では大和の古代豪族の大神(おおみわ)氏の子孫ではないかとみられている。

室町時代中期頃から、国人として活動し始め、戦国時代に筒井順昭が名をあげた。そして、その子順慶のときに大和一国を統一して、戦国大名になりあがった。

本能寺の変後、明智光秀と豊臣秀吉が戦った山崎の合戦では、戦場に近い洞ヶ峠に布陣したものの、どちらにも味方せずにしばらく戦況をうかがっていた。そして、秀吉方が優勢とみると、ただちに山を降って敗走する光秀を追撃したことから、日和見をすることを「洞ヶ峠を決め込む」という諺が生まれたという。

しかし、実際には順慶は恩人である光秀の誘いにもかかわらず出陣しておらず、この諺は濡れ衣である。

筒井家はのちに伊賀に転じて9万5000石の大名となり、関ヶ原合戦でも東軍に属したが、まもなく断絶した。のち一族が旗本として再興、幕末に日露和親条約の交渉を行った筒井政憲は子孫である。
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