人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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天明鍛冶と天明家

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2012/10/22 11:47

東京都小平市に「江戸東京たてもの園」という施設がある。各地の古民家などを移築・保存したもので、川崎市の日本民家園など同じような施設は各地にある。

ただし、ここには「千と千尋の神隠し」の「油屋」のモデルとなった子宝屋があることで有名で、休みの日にはこの建物の付近は結構にぎわっている。この子宝屋のすぐ近くには、江戸時代から続く一軒の民家が移築されてひっそりと建っていた。この民家は天明家といい大田区の庄屋の建物である。





天明家建物および看板。
写真のうち「天明家看板」の方は、「英字でTemmyoと書かれている」


「天明」というと、江戸時代中期の年号で天明の大飢饉でも有名なため、「てんめい」と読んでしまうが、「天明」家は「てんめい」ではなく「てんみょう」である。

というのも、名字の由来は年号ではなく、下野国の日光例幣使街道にあった天明宿(栃木県佐野市天明町)という地名に由来しているからだ。

天明宿は天明鍛冶といわれる鋳物師で有名で、平安時代に河内国から移住してきたのが祖と伝える。豊臣秀頼が方広寺の鐘を鋳造した際にも、天明鍛冶39人が上洛して制作にあたったという。

この一族が鵜の木村(大田区)に移り住んだのが天明家の祖で、江戸時代には鵜の木村の名主をつとめた。現在でも大田区鵜の木付近には、「天明」という珍しい名字が集中している。
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