人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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熊野古道と藤白神社

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2012/04/02 11:06

今年の春は、甲子園のついでに和歌山県に足を伸ばしてきた。メインは藤白神社と鈴木屋敷である。



藤白神社


世界遺産に指定された熊野古道には、小辺路、中辺路、大辺路などいくつかのルートがあるが、天皇や京の公家たちが参詣したメインのルートが摂津から紀伊田辺にいたる紀伊路である。田辺から先は中辺路と大辺路にわかれ、さらに高野山から続く小辺路もある。のちに伊勢神宮から熊野に向かう伊勢路も出来ている。

今ではあまり知られていない熊野信仰だが、平安時代には熊野信仰は朝廷で深く信仰されており、天皇や公家たちはしばしば熊野に参詣した。

今とは違って交通の不便な時代、京から熊野を詣でるのはたいへんな労力だったはずだが、後白河上皇は実に34回、後鳥羽上皇も30回近くも熊野詣でをしており、いかに熊野信仰が朝廷に浸透していたかがわかる。

紀伊路のルートは長く、途中には熊野権現を祭祀した分社が数多くあり、これを「王子」という独特の名前で呼んだ。その中でもとくに重要な5つを「五体王子」といい、一番最初の五体王子が若一王子で、今の藤白神社である。

JR海南駅から南に10分ほど歩き、高速をくぐって坂を上ると、町が一望できる場所に藤白神社がある。熊野古道の重要な拠点とはいいながら、ひっそりとしたたたずまいだ。

ただ1つ、そのたたずまいとミスマッチなのが、境内にたなびく「全国の鈴木さんいらっしゃい」という4本の幟である。



4本の幟


なぜここに、このような幟が翻っているかは次週。
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