人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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久里浜とゴジラ

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2010/11/15 11:31

13日、暖かかったこともあり、久里浜に行ってきた。

久里浜は源平合戦における重要な場所の1つである。『平家物語』巻五の「早馬」の項に、挙兵した源頼朝が平家方に敗れ、この地の豪族だった三浦一族とともに、「くり浜の浦より舟に乗り、安房上総へわたり候ひぬ」と出てくる。

今でも久里浜から千葉の浜金谷にはフェリーが出ており、昔から東京湾を横断する主要なルートであった。危機を逃れた頼朝は、房総半島で坂東平氏を傘下に加え、一気に巻き返しをはかることになる。

さて、久里浜の観光名所というと神奈川県の人だと「久里浜はなのくに」を思い浮かべる人が多い。春にはポピー、秋には一面のコスモスで有名なところだが、11月上旬にすべて刈り取ってしまっており、花畑は一面の土にかえっていた。



「久里浜はなのくに」。一面の花畑のあと


それでも、入場は無料な上に、広大な園内にはハーブ園や足湯もあり、さらに子供向けのアスレチック施設もあることから、ハイキングコースとしても楽しめる。

そして、もう1つの目玉が、アスレチック施設の入口にあるゴジラの滑り台である。



ゴジラ像。中が滑り台になっている


水爆実験により、大戸島の海底で目を覚ましたゴジラは、北上して東京を目指し、三浦半島の観音崎近くの多々良浜に上陸した。これを記念して多々良浜にはゴジラの滑り台が建てられていたが、老朽化したことから取り壊され、近くの久里浜はまのくにの中に再建されたものだ。

ゴジラの台座に刻まれた名簿をみると、実に多くの企業や一般市民が寄付を寄せたことがわかる。

久里浜は、頼朝が危機を逃れた地としてよりも、ゴジラが上陸した地をメインとしているようだ。
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