人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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愛甲を歩く

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2010/02/02 11:21

30日、厚木市のぼうさいの丘公園に行った際、近くの愛甲付近を歩いてみた。



愛甲の地名表示


この地は、横山党の一族である愛甲氏の本拠地。往年の高校野球ファンだと、30年前に横浜高校が甲子園で優勝した時のエース、愛甲猛投手を覚えているだろう。愛甲選手は逗子市の出身だが、そのルーツはここにある。

相模川のことを古くは「鮎川」と書いて「あいかわ」といったといい、愛甲という地名はこの「鮎川」に由来するとみられる。

平安時代後期、神奈川県西部に広がった横山党という同族集団の中に、愛甲を本拠とした愛甲氏があり、鎌倉時代の御家人愛甲三郎季隆は弓の名人として知られている。しかし、和田義盛の乱で敗れた和田方に属したことで所領を没収され、以後一族は衰退した。

ところが、乱よりも前に島津氏に従って大隅国(鹿児島県)に移り住んだ分家がある。この子孫は代々島津氏に仕えて重臣となり、江戸時代にも薩摩藩士には愛甲家があった。

名字の面白いところは、現在の「愛甲」さんの分布を調べてみると、ちゃんと神奈川県と鹿児島県の周辺に多いことなのだ。歴史上では一見全然関係のない2県だが、愛甲一族に関するかぎりは深い繋がりがある。現在の愛甲さんの分布は、今から800年以上も前の出来事に裏打ちされている。
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