人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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東海道を歩いてみた(9) 国府津

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2009/11/30 16:29

さて、海をみたあと国府津の駅前で食事をした。かつて御殿場回りが東海道本線のルートだった頃は、「つばめ」のような優等列車もこの駅で停車し、機関車の増結が行われた。

しかし、昭和9年の丹那トンネルの開業で、東海道本線が熱海経由に切り替わると、国府津駅はローカル線の御殿場線との乗換駅にすぎなくなり、今では駅前もさびれている。現在では、JR東日本とJR東海の分界駅である。

ところで、「国府津」という地名を、「こうづ」正しく読める人は、意外と少ない。「国府」とは、古代に国の役所である国衙(こくが)があったところ。いまでいえば県庁所在地にあたる。やがて、読み方は「こくふ」から「こふ」、「こう」と変化した。そして、中世になると国府の機能は失われ、室町時代には完全に所在不明となってしまった。

戦後、「国府」で「こう」と読む地名を頼りに発掘が行われ、今では各地の国衙跡が見つかっている。ちなみに、現在の「国府」という地名で、「こくふ」と読むところは、国府のあったと推定される場所に、あとからつけた地名が多いといわれる。

また、「国府津」の「津」は「港」という意味。つまり、国府津とは、相模国の国府の港があった町なのだ。現在では小田原市に編入され、小田原市国府津となっている。

国府津を出て、酒匂川をわたると、街道から少し南に入ったところに新田義貞の首塚がある。



酒匂川



新田義貞の首塚


越前藤島(福井県)で討ち死にした義貞の首を、家臣の大久保泰藤が本国上野国(群馬県)に持って帰る途中、ここで病となり、やむを得ず埋葬したという。どうも、東海道にはこういう名所が多い。

ちなみに、大久保泰藤は、のちの小田原藩主大久保氏の先祖である。
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