人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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自由が丘の由来

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2009/05/25 11:01

先日、所要で自由が丘に出かけた。考えてみれば、この地名はいかにも新しい。



自由が丘駅構内表示板


東京市となる前、この付近は東京府荏原郡碑衾町大字衾といった。元々は衾村で、明治22年に碑文谷村と合併して碑衾村となり、のちに町に昇格したものだ。さらに、昭和7年の東京市拡張の際、目黒町と合併して目黒区となった。

この衾というユニークな地名の由来は定かではない。民間信仰の神様の名前に由来するとも、麩(ふすま)といわれる馬の飼料の産地だったともさる。また、衾とは掛け布団のことなので、この付近の丘陵地形が衾に似ていたともいわれる。今では、八雲5丁目に衾町公園があるだけで、この他には「衾」という地名の痕跡はない。

ところで、今の東急線自由が丘駅が開業したのは昭和2年8月。当時は九品仏駅という名前だった。そして、この年の11月、自由教育を提唱する手塚岸衛がこの近くに自由ヶ丘学園を創立した。実はこれが自由が丘の由来である。

昭和4年、東急電鉄は九品仏浄真寺の表参道前に新駅を設置し、こちらを九品仏駅とした。そのため、それまでの九品仏駅は地名をとって衾町駅に改名することが決まっていたが、舞踊家の石井漠など、周辺に住んでいた文化人達の強い運動で、駅名が「自由ヶ丘」に変更されたのだ。彼らは住所も自由ヶ丘○番地と名乗り、ついに地名までが正式に衾町自由ヶ丘になって今に引き継がれている。

私鉄沿線では、宅地開発のために鉄道会社主導で「○○が丘」という駅名や地名をつくることは多いが、住民運動でつけられたものは珍しい。

ちなみに地名が「自由が丘」と「が」に変わったのは昭和40年のことである。
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