人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、本当?と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

著書は『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など多数。

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東海道を歩いてみた(1)

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2008/10/20 11:54

18日、秋晴れのもとで東海道を少しだけ歩いてみた。

昨年大山街道の旧道を歩いたことから、今回は東海道に挑戦。中学生の長男とともに、起点の日本橋から、旧道沿いに歩いた。


日本橋

「お江戸日本橋、七つだち〜」の「七つ」とは午前四時頃。昔の旅人は、夜が明ける前に日本橋をたち、その日のうちに戸塚宿まで行くのが普通だった。というのも、江戸時代には、物見遊山の旅というのはほとんどなく、旅は仕事などやむを得ないもの。しかも、日が暮れるとぶっそうなため、朝早く宿を立ち、急ぎ足でできるだけの先の宿場をめざしたのだ。

神奈川県に住んでいることもあり、実際に日本橋に立ったのはちょうど午前九時。しかも、ここから、ゆっくりと、旧跡を訪ねながらなので、戸塚はおろか、神奈川宿(横浜)までも厳しい。

東海道というと、国道1号線というイメージがあるが、日本橋から品川宿までは第一京浜と重なっている。国道番号でいうと15号だ。これは、戦後全国の国道に番号がふられた際に、あとから造られた第二京浜を1号に指定したためで、戦前は第一京浜の方が幹線だった。

さて、江戸時代には、高輪の大木戸を出ると、いよいよ江戸を離れて東海道の旅人なった。品川駅の少し先が箱根駅伝で有名な八ツ山陸橋。ここで第一京浜と離れて品川宿に入り、しばらく旧道を歩くことになる。


高輪大木戸跡

一口に「品川宿」というが、実は品川は3つの宿場で成り立っていた。当初から、品川橋を境に北品川と南品川の2宿があり、本陣も別々にあった。江戸時代中期に、北品川のさらに北側に歩行(かち)新宿ができて3宿の体制になっている。落語「品川心中」に登場するのは江戸に近い歩行新宿。広重の東海道五十三次「川崎」も歩行新宿である。


北品川宿

また、品川駅の南に位置する京急線の北品川は、北品川宿の入口にあたる。これは、はっきりいってJRの品川駅の位置がおかしいのだ。


京急北品川駅

このあと、鈴が森までは国道から離れ、京急線沿いの旧道が続く。
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