人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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ヤマタノオロチと「ひの川」

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2008/09/01 10:18

前回紹介した金持は、鳥取県日野郡日野町にある。日本神話で有名なスサノオノミコトの話は出雲が舞台だが、この地方も、関係がないわけではない。

天上界から出雲の鳥髪山(現在の船通山)へ降ったスサノオは、その地を荒らしていたヤマタノオロチを退治し、その尾の中から出てきた天叢雲剣を天照大神に献上した。
船通山は島根県と鳥取県の県境にある山で、ここを島根県側に降りるたところが、たたら製鉄で巨富を築いたことで知られる、桜井家や絲原家のある奥出雲町である。

天照大神に献上した天叢雲剣はヤマタノオロチの尾の中から出てくるが、その際、スサノオの持っていた剣は当たって欠けてしまった。これは、スサノオの使っていた青銅製の剣が、出雲の鉄製の剣に敗れ、その強力な鉄製の剣を持った出雲の一族が天照大神=大和政権のもとに従ったと考えられる。つまり、大和朝廷が、たたら製鉄文化圏を支配下においたことを意味しているのだ。

ヤマタノオロチの住んでいた「肥の川」(簸の川)は、島根県の斐伊川とするのが通説だが、実は同じ船通山付近を源にして東側の鳥取県に流れ出る川に、「日野川」という川がある。そして、発音の同じこの川を少しくだったところが日野町で、近代まではたたら製鉄の本場として知られていた。古代においては、奥出雲と同じ製鉄文化圏に属していた、と考えるのが妥当だろう。

実は、名字の上でも、両地方の結びつきは近い。鳥取県の名字構成は、東の因幡地方と西の伯耆地方ではかなり違っている。また島根県でも、東の出雲地方と、西の石見地方は大きく違う。

ところが、出雲東部と伯耆西部は似ているのだ。門脇・勝部・景山・青戸など、県境を越えて分布している独特の名字も多い。今回おじゃました日野町も景山町長だった。

名字は、人に附属しているものだ。名字の分布が近いということは、それだけ人の交流があったことを意味している。あとから政治的に引いた県境よりも、名字の違いで線を引いた方が、文化圏の違いをはっきりさせることができることは多いのだ。
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