人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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島津荘と都城市

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2008/02/25 09:51

現在放映中のNHKの大河ドラマ「篤姫」の中で、島津氏のルーツを鹿児島県出水市と紹介したところ、宮崎県の都城市が「島津荘のルーツは都城である」と反論し、話題になっていた。

島津氏の名字のルーツが島津荘であること自体は明白な事実。では、島津荘とはどこかというと、現在の鹿児島県と宮崎県にまたがる日本最大の荘園であった。

島津荘が成立したのは11世紀後半のことで、大宰府の役人であった平季基が、都城市にあった日向国島津院を中心とする広大な荒野を開発して摂関家の藤原頼通に寄進したのが始まり。

そして、100年後の12世紀後半、島津荘の下司職になった惟宗忠久が、荘園名をとって島津忠久と名乗って、島津氏の祖となった。しかし、当時九州に所領を持っていた御家人の多くは現地には行っておらず、島津一族も鎌倉に住んでいた。

その後、忠久は比企能員の変に連座して日向国を失い、実際に現地に下向した3代島津久経は、本拠地を鹿児島に置いたため、以後、島津氏は鹿児島の武家として栄えることになったのだ。

そのため、「島津氏」の名字の由来となった島津荘のルーツは都城だが、武家島津家のルーツは鹿児島県であるといえる。そういう意味で、どちらも間違いではない(実際、都城市も出水市を否定しているわけではない)。さらにいえば、都城は今でこそ宮崎県だが、江戸時代は薩摩藩領で、現在でも都城の名字構成は鹿児島県に近い。同市出身の東国原知事の名字のルーツも、実は県境を越えた鹿児島県側にある。

こうした事情を踏まえて、NHKは3月30日の放送の冒頭で、都城を紹介することを決めたようだ。
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