日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

2026/09/08 10:17

9月に入って多少涼しくなってきたので、8月に遠出できなかった分、積極的に各地に出かけようと思う。そこで早速JR東日本の「大人の休日倶楽部パス」を利用して新潟県を訪れた。上越新幹線を長岡駅で降り、信越本線に乗り換えて羽生田という無人駅で下車。ここから10分ほど歩いたところに旧田巻邸がある。
田巻家は下田村(三条市)の五十嵐氏の末裔と伝える旧家で、同地には千町歩地主である豪農田巻家が2家あった。代々三郎兵衛と名乗る本家の「本田巻」と、代々七郎兵衛を名乗り、地名の「原ヶ崎」に因んで「原田巻」という分家である。現在「本田巻」は同地を離れ屋敷も残っておらず、マツモトキヨシのあたりにあったとのこと。

一方「原田巻」は今でも残っている。分家とはいえ、江戸末期には1300町歩を有し、小作人2794人を抱えたというとんでもない大地主で、明治30年に7代目当主が贅を尽くして作った離れが「椿寿荘」として公開されている。戦後、国に物納され、その後は国鉄に払い下げられた後に田上町が取得したもの。現地のガイドの方に詳しく案内して頂いた。
この離れは当時日本三大名人の一人と言われた富山県井波の宮大工松井角平に依頼して3年半かけて建築したもので、現在主屋との間は板塀で仕切られている。その建坪は約140坪、ヒノキを使った重厚な寺院様式で、随所に銘木が使用されている。なかでも樹齢800年の会津欅をふんだんに使った玄関と露縁、菊を透かし彫りした欄間のクスノキの一枚板は見事。

また露縁の庇の桁に使われている約20mの節ひとつない吉野杉は、大阪から海路新潟に輸送、そこからは信濃川をさかのぼって運ばれた。20mもあるため狭い道では曲がることができない。そのため、お金を払って角の家を壊して通したとか。明治・大正期の豪農は今とは桁が違う。

書院窓から覗いた先には庭に植えられた青モミジが見えた。紅葉の季節はいっそう素晴らしいに違いない。

