人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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豊臣秀長の居城、郡山城

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2025/11/25 10:22

大和郡山の朝

久しぶりに奈良を訪れた。今回は奈良在住の同級生の案内で、奈良県最南端から京都府南部まで、紅葉を見ながら様々な場所をめぐってきた。

最初に訪れたのは大和郡山市の郡山城。来年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟」の主人公は豊臣秀吉の弟秀長である。秀長は秀吉のもとで大和・紀伊・和泉など100万石の領主となり、郡山を居城とした。

本丸跡

郡山城は、もともと筒井順慶が天正8年(1580)に廃城となった多聞城から多くの石を運んで築城したもので、秀長のときに100万石に相応しい城に拡大した。しかし、同19年に秀長が死去。跡を継いだ養子の秀保も4年後に死去し、以後城主は転々とした。

江戸中期の享保9年(1724)、柳沢吉保の子吉里が甲斐府中藩から15万石で移封し、以後郡山は柳沢家の城下町となった。柳沢家は甲斐武田氏の一族で、父安忠はわずか160石の旗本にすぎなかった。

しかし、吉保は5代将軍となる綱吉に仕えると、側用人から大老格にまで出世し、甲斐府中藩15万石の大名となった。そして、綱吉の没後隠棲、吉保が死去すると跡を継いだ吉里は甲斐府中から大和郡山に移された。

現在は多聞櫓、追手東隅櫓などが復元されているのみで、郡山城には天守はない。本丸跡には柳沢吉保を祭神とする柳沢神社が建立されている。

柳沢神社

朝ということもあって、この日は人が少なかったが、来年には多くの人が訪れそうだ。ちなみに、郡山城跡には堀を囲うように約600本のソメイヨシノ等の桜が植えられており、桜の名所としても知られている。桜の季節に来るのもよさそうだ。

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