日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2025/09/09 10:15
宿毛を歩いた後は、土佐くろしお鉄道で中村に戻って来た。四万十川の下流部にあるこの町は、かつては中村市といって高知県西部、幡多地方の中心都市だったが、平成の大合併で西土佐村と合併して四万十市となった。ここも急激な過疎化に襲われている。
中村の都市としての歴史は古い。鎌倉時代は摂関家九条家の荘園で、後に一族の一条家が引き継いだ。そして、応仁の乱の際に一条教房が戦乱を避けて幡多荘に下向し、中村に居を構えた。
教房は国人の官職昇進の便宜を図るなどして在地武士を掌握。子房家は土佐国司になると、以後そのまま土着して幡多郡・高岡郡を支配。やがて戦国大名に成長した。のちに長宗我部元親に敗れて滅亡するが、公家の影響を受けた中村には県内他地域とは異なる文化が継承されている。
一条氏は中村の街を碁盤の目に整備し、京都に見立てた街づくりを行った。そのため、中村は小京都と呼ばれ、葵祭を模した5月の「土佐一條公家行列」、旧暦7月16日の「大文字の送り火」、一条氏の遺徳を偲ぶために始まった11月の「一條大祭」など、京都や一条氏に因む祭りが多い。
この一条氏の館、中村御所跡が中村の市街地の小森山山頂にある一条神社である。11月の一條大祭では「稚児行列」も行われている。
四万十川を望むホテルに泊まり、翌朝は川沿いを散歩した。朝の四万十川は実に気持ちがいい。川の左岸は「百笑」と書いて「どめき」と読む。騒がしいことを指す「どめく」に因む地名で、四万十川の激しい流れがたてた音に由来するものだろう(諸説ある)。