人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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敦賀湊と大和田家

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2023/10/24 10:07

敦賀市立歴史民俗資料館

「北陸フリー切符」は福井県全域まで使用できる。時間があったので、武生からさらに南下して敦賀まで行ってみた。新横浜を起点とすると、敦賀には京都から入った方がはるかに早く、本来北陸新幹線経由はかなりの大周りである。敦賀駅で降りると、駅前に都怒我阿羅斯等の銅像があった。『日本書紀』に登場する人物で「つぬがあらしと」と読み、敦賀の地名の由来になった人物とされる。

さて、敦賀も港町である。かつては北前船の寄港地として栄え、蝦夷地で獲れたニシンや昆布は敦賀から京や大坂に運ばれた。敦賀の湊に豪商達の屋敷が立ち並び、そうした豪商の1つに大和田家がある。

大和田家は比較的新しい家で、幕末に初代荘七が北前船主となったのが祖。明治維新後、初代荘七の長女と結婚として大和田家を継いだ2代目荘七は、明治25年に大和田銀行を設立した。そして、政府に敦賀港の開港に関する嘆願書を出し、32年に敦賀港が国際貿易港に指定されたことから、敦賀港発展の父と呼ばれている。

旧大和田銀行本店本館は、戦後三和銀行敦賀支店、福井銀行敦賀港支店となった後、昭和52年に敦賀市に寄贈され、翌年敦賀市立歴史民俗資料館としてオープンした。その後修復工事を経て、平成27年に敦賀市立博物館となり、29年には国の重要文化財に指定された。

1階の大理石で造られたロビーカウンターは、当時の銀行の雰囲気をあらわしている。また、2階には貴賓室があり、その豪奢な造りは、ここが銀行としてだけではなく、敦賀を訪れた要人たちをもてなす場所でもあったのだろう。貴賓室の向かいは撞球(ビリヤード)室であった。

因みに、俳優の大和田伸也・獏兄弟はこの大和田家の親戚の末裔であるという。

 

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