人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、本当?と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

著書は『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など多数。

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井伊家一門 中野家の立場

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2017/01/30 16:47

「おんな城主 直虎」に登場した中野直由(筧利夫)

大河ドラマに、井伊家の重臣として、筧利夫演じる中野直由という人物が登場した。中野氏は、井伊直盛の曾祖父にあたる直氏の弟直房が、井伊谷のうちの中野郷に住んで、「中野」と名乗ったのが祖。井伊本家とかなり近い関係にある分家で、家中でも大きな力を持っていたと思われる。

江戸時代の大名家では、家を継げない次男以下は他家に養子に行かない限り、実家の部屋住みで飼い殺しとなることが多かったが、戦国大名では家を継がない庶子は独立して本家の近くに分家し、その地名を名字とすることが多かった。

甲斐の武田氏や常陸の佐竹氏など、有力大名なはこうした分家の数が非常に多かった。一族として結束してその実力を固めたのだが、しばしば本家と分家の間で武力衝突となることもあった。中には分家の力が本家を上回り、「嫡流」の系統が移動することもあった。

中野一族は、以後もずっと井伊家を支え、井伊直政(直親の子)が徳川家康に仕えた際には、中野直之(直由の子)がその家臣として従っている。

大坂の陣後、中野家は彦根藩の家老となった。中野家は家督を継げない藩主の庶子が養子となって継ぐことが多く、藩主一門として家老の中でも独特の地位を持っていた。

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