人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、本当?と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

著書は『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など多数。

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手塚治虫のルーツ

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2016/12/13 15:12

兵庫県宝塚市にある手塚治虫記念館(photo by 663highland/wikipedia)

少し前の話だが、11月26日付の中日新聞夕刊にかなり大きく面白い記事が掲載されていた。

それは、漫画家・手塚治虫の先祖が手塚太郎光盛であることがわかった、という記事だ。手塚治虫の家は代々医者の家柄で、江戸時代は良仙と名乗って常陸府中藩の藩医をつとめていたことは、漫画「陽だまりの樹」にも書かれている。

平安末期、信濃国に手塚光盛という有名な武将がいた。江戸時代から続く旧家では、歴史上活躍した人物の子孫と称することが多く、各地の手塚一族も、この手塚光盛の子孫と伝えるものが多い。手塚光盛は金刺氏の一族で、長野県上田市にあった手塚郷を本拠とし、幼少時代の木曽義仲を匿っていたことで知られる。

手塚治虫家でも、この光盛の子孫であると言われており、治虫も「火の鳥」に手塚光盛を登場させるなど意識していたとみられるが、あくまで伝承の域を出ていなかった。

今回みつかったのは、上田市の安楽寺に納められた手塚良仙光照の位牌。光照は治虫の四代先祖で、位牌ともに「光盛の末裔で手塚村に住んでいた」という文書も見つかった。

もちろん、光盛から治虫に至る系譜が解明したわけではないが、子孫である可能性は高まったといえる。

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