人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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鈴木町から小島新田へ

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2016/05/16 10:28

川崎大師こと平間寺

鈴木町からは歩いて平間(へいげん)寺に行ける。

平間寺といっても誰もわからないが、実は川崎大師のこと。そもそも、京急大師線は川崎大師参詣のためにつくられた路線で、京急そのものもこの大師線の開業から始まった。

京成が成田山、関西の南海が高野山への参詣用の鉄道だったように、神社仏閣への参詣のために作られた線は多い。その後モータリゼーションが発達すると、京急はその軸足を羽田・成田の空港輸送に切り替えることで成功している。

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参詣用として開通した沿線も、いまでは工業地帯

さて、正月には300万人もの参拝者が訪れる川崎大師。初詣のときには人の姿しかみることができないが、通常時はそれほど混み合ってはいない。そして、よくみると神社の建物自体は意外と新しいことに気がつく。というのも、川崎大師は第二次大戦中の空襲で大部分が焼失してしまったのだ。

京急大師線は川崎大師駅の先も東門前、産業道路と続き、終点は小島新田という駅。このあたりはかつては海岸だった。平安時代末期、平間兼乗がここで海中から網で弘法大師の木像を引き揚げたのが平間寺の由来で、網を打った場所は大師河原村と呼ばれた。

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「大師河原」という名前が残っているポンプ場の銘板

ここを小島新田というのは、江戸時代後期に小島六郎左衛門が埋め立てて新田として開発したからだ。現在では小島町という地名になっている。このあたりの地名は人名由来のものが多い。

現在は小島町となっている
現在は小島町となっている
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