人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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徳川家の出自

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2015/10/19 09:20

徳川家康像(狩野探幽画、大阪城天守閣蔵/画像はWikipediaより)

先週、徳川家康が新田氏一族の得川氏の末裔を称して清和源氏と名乗るようになったと書いたら、では本当は何姓なのか、という質問があった。

伝承によると、得川氏6代目政義の時に新田義貞に従って本領を離れ、以後諸国を流浪した。そして、親氏が三河国加茂郡松平郷(愛知県豊田市松平町)の松平信重の婿となって松平氏を継いだとされる。

しかし、戦国時代に成長した大名には、権威を保つためにこうした「貴種流離譚」が伝わっていることが多い。松平家の伝承もこうしたものの一つにすぎず、信憑性はない。松平氏は、もともとは松平郷を本拠とする小土豪にすぎず、親氏については、その実在すら疑問視されている。

確実なのは西三河に進出を始めた3代目信光からで、やがて一八松平と呼ばれる多くの分家を出して、三河を代表する武家に発展した。これら多くの一族のなかから、安城の松平家が総領となり、その子孫が家康である。家康が永禄9年(1566)に従五位下三河守の官位を得たときには、藤原姓を称しており、のちに征夷大将軍となるために、新田氏の子孫として源氏に改姓した。

松平氏の本姓については様々な研究が行われ、諸説ある。近年では賀茂姓ではないか、という説が有力だが、まだはっきりしたことはわからない。

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