人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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徳川氏発祥地の地

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2015/10/13 16:24

世良田東照宮(筆者撮影)

新田荘歴史資料館のすぐ北側に、世良田東照宮という神社がある。東照宮という名前でもわかるように、ここに祀られているのは徳川家康で、3代将軍家光が建立したものだ。

そもそも、この世良田の地は徳川家発祥の地とされている。鄙びた駅である世良田駅の前には、写真のような「徳川氏発祥の地」の碑が建っている。ただし、今ではこの地が本当に徳川家の発祥地だと考えている史家はいない。家康以前の徳川家は松平氏を称し、東三河に根を張った有力豪族だった。

徳川氏発祥の碑
徳川氏発祥の碑

 

新田氏の一族に、世良田を本拠とした世良田氏があった。そして、その世良田氏のさらに庶流に、世良田郷南側にある得川郷に住んだ得川義季という人物がいたことが知られている。家康はこの子孫を自称することで清和源氏の末端に名を連ね、源氏でないとなることのできない征夷大将軍の座につくことができたのだ。

義季の娘浄院尼が開山した満得院は徳川家によって保護され、江戸時代は鎌倉の東慶寺とならぶ縁切寺として知られた。この付近は今では得川ではなく、太田市徳川町という地名になっている。しかし、尾島町から太田市に合併して日が浅いためか、徳川町と書かれた看板などがない。しばらくさまよってやっと1つだけ見つけたのが、ポストに書かれた住所だった。

toku_post
執筆時点で唯一見つけられた徳川町表記

 

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