日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

2026/06/30 10:26

恵那で1泊したあと、明知鉄道の初電で岩村に向かった。明知鉄道は国鉄明知線を引き継いだ第三セクターで、恵那駅と明智駅の間を走っている。当初は掛川まで結ぶという遠大な計画だったという。
岩村は東濃地方の政治・経済・文化の中心として栄えた。現在も歴史ある商家や町家が立ち並んでおり、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。高山の上三之町や、長野県の奈良井宿などとは違ってインバウンドによる観光客も少なく、落ち着いたたたずまいだ。
長く続く城下町を抜けると、その奥に岩村城の登城口がある。岩村城は標高717mに位置し、大和高取城(奈良県)、備中松山城(岡山県)とともに「日本三大山城」の一つに数えられている。


登城口から30分ほど急な坂を上ると、山の上に突然立派な石垣が見えてくる。天守閣などは再現されておらず、それがかえって往時を想像することができる。それにしても、この山の上にこれほど立派な石垣を築くのはどれほど大変だったのだろうか。


岩村城は、戦国時代はこの地方に大きな勢力を持っていた遠山氏の嫡流、岩村遠山氏の居城だった。遠山氏は藤原北家利仁流で加藤氏の庶流という。一族は遠山7家と呼ばれ、東濃一帯に広がっていた。
しかし、嫡流の岩村遠山氏は織田信長に敗れて滅亡、江戸時代岩村は丹羽家を経て、大給松平家3万石の所領となった。江戸時代を代表する儒学者の一人佐藤一斎や、丸善の創業者早矢仕有的(はやし・ゆうてき)は岩村藩士の出である。