人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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古代に栄えた海柘榴市

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2025/12/02 10:31

「紫は~」の歌碑

奈良県にあった海柘榴市という地名をご存じだろうか。これで「つばいち」と読む、古い地名である。「海石榴市」「椿市」とも書いたようだ。

三輪山の麓にあたり、古代には市場があった。地名は椿が植えられていたことに因み、もともとは「つばきいち」で、のちに「つばいち」に転訛したという。今の桜井市金屋の一部である。ここは飛鳥への入り口として栄えており、歌垣(男女が集まって歌を歌いあう催し)も開催された。

『万葉集』巻12には、
「紫は 灰指すものぞ 海石榴市の 八十の巷に 逢へる兒や誰」という、女性に名前を尋ねる恋歌と、
それに対する
「たらちねの 母が呼ぶ名を 申さめど 路行く人を 誰と知りてか」という返歌が掲載されている。

この時代、男性が女性に名前を尋ねることは求婚を意味し、それに応じて本名を教えると承諾したことになった。この返歌の女性は、「ゆきずりの人には教えられない」と断っている。

著名な人物である紫式部や清少納言でもその本名(実名)がわからないように、女性の本名は他人に教えてはいけないという習慣は長く続いた。従って、歴史上の女性の多くはその本名が伝わっていない。

また、『日本書紀』武烈天皇即位前紀には「海柘榴市の巷」として登場するように、海柘榴市には大和川を利用して大陸の使者も訪れた。

平安時代以降は長谷寺詣での宿場として栄えた。『源氏物語』玉鬘巻では玉鬘が初瀬詣の途中に「椿市」を訪れ、『枕草子』では「市は たつの市。さとの市。つば市」として長谷に詣でる人が必ず泊まるとある。

これだけ著名な地名であったが、現在は地名としては消滅し、市の跡もない。集落の奥にある海柘榴市観音にその名が残されている。

海柘榴市集落
海柘榴市観音
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