前人未到の永世七冠を達成し、国民栄誉賞の受賞も決定した羽生善治竜王。中学生初の五段昇格を果たした藤井聡太棋士との公式戦初対局も目前にせまるなど、今もっとも注目を浴びている著名人の一人です。その羽生竜王は、勝負に際して日ごろからどのような心構えをしているのか、羽生竜王の著書『結果を出し続けるために』から、一部をpickupして見てみます。

※本記事は羽生善治著『結果を出し続けるために』の内容を一部抜粋したものです

最後は玲瓏な状態で主観に頼る

将棋では、何をしていいか、どうして良いかわからないときに、その人の性格が非常によく出るものです。これは、論理的なところでは識別がつかない、最後のわからない部分です。何度考えて確認しても、何が正しいのかわからないケースは少なくありません。また実は、そういうところこそが勝負どころであったりします。

そこをどのように決めるかというと、最後は主観でしかありません。つまり好き嫌いです。理論上で比較しても、どちらの手が良いのかわからない局面なので、後は自分のスタイル、棋風に合っているかで判断する、ということになります。だからこそ、その人がどんな物事のとらえ方をするのかが、はっきりと表われます。

直感、読み、大局観の三つを使っても、次の手の選択に迷うときには、私は先の展開をいくつか比較して、それが自分のスタイルや好みに合っているとか、状況にマッチしているとか、そうしたことを加味して、次の一手を決めています。

ちなみに私は、色紙を頼まれたときにはよく、「玲瓏(れいろう)」という言葉を書いています。これは元々、「八面玲瓏」という四字熟語で、周囲を見渡せる状況であると同時に、透き通った静かな心持ちを指します。

こうしたまっさらな状態でこそ、曇りのない決断、一番良い決断ができるのだと考えているからです。

保守的な選択は10年後に最もリスクが高い

リスクを抱えた指し方は、目先では損をするように見えるかもしれませんが、将棋の世界にかぎってみれば、長期的には、そちらのほうが間違いなく良いでしょう。

羽生善治著『結果を出し続けるために

元々、絶対的な安全や保証はありません。10年先のことを考えると、一番保守的な指し方や作戦は、一番悪い選択のはずです。しかし、10年先のベストの選択は、今の目で見ると、一番リスクが高いかもしれません。

それゆえ私は、アクセルとブレーキをいかに加減するか、どこまでアクセルを踏んで、どこでブレーキを踏むか、リスクをどう取っていくか、いかにリスクを分散させるか、ということを考えながら、日々の将棋を指しています。この加減は、自分の年代や世代、取り組んでいる物事に対する経験値や、置かれている立場によって変わってきます。

では、「自分が今、意図的にアクセルを踏んだほうがいいのか」、それとも「ブレーキをかけたほうがいいのか」をどうやって知るか。それには、自分の三カ月なり半年の行動を振り返ってみると、結構はっきりと表われています。「自分がこの三カ月をどのようにすごしたか」をトータルで見てみると、積極的だったのか保守的だったのかが、明確にわかります。

そうやって振り返ると、「今まで急ぎすぎていたから、少しゆっくりいこう」とか、「今は守りに入りすぎているから、思い切って行動しよう」といったことが見えてきます。

たまには、自分の行動を客観的に振り返ってみることが大切です。「客観的になる」「我に返る」というのは言葉を変えると、「他人事、ひとごととして物事や自分を見る」ということです。目先のことにとらわれない、気楽な立場になることで、見えてくる世界が違ってくるのです。

年代ごとの強みを理解する

若いときには計算が速かったり、記憶力が強かったり、瞬発力があったりします。しかし将棋においては、若いときにはまだまだ直感や大局観といった力はついていないので、とにかくたくさん手を読むことで、それらをカバーします。そして、若いときにひたすら読みの力を鍛えることで、直感や大局観が磨かれていくはずです。

また、若いときは体力も勢いもあって、怖いもの知らずですから、知らないうちに危ない局面に踏み込んでいても、そこを突破してしまう力もあります。余計なことを考えないからこそ、決断力があるのです。

私は2010年9月に40歳になり、若いころに比べて記憶力の変化を感じます。「忘れる」というよりは、「思い出すのに苦労する」という感じです。これは防ぎようがないことでしょう。ただ、それを悲観的に見ているわけではありません。

まず、「覚える」ことを「思い出す」ことにシフトすること。そして、記憶力というものは、今の将棋には必要がない、あまり大事ではないと、考え方そのものが変わってきました。

いわば、年齢ごとの強みがあり、それを活かしていけばいいということです。年齢を重ねると、経験を積んで、物事のポイントがわかってきます。答えのない問題や、はっきりしない問題に対して、対処する能力が上がってくるのです。記憶力や、単純な読む力は衰えるかもしれませんが、直感や大局観といった総合力がついてくるのも、こうした時期です。若いうちに、自分で考える習慣が身についていれば、ここで回収ができることになります。

また、物事に動じない強さや、大らかさ、大胆さというメンタル面の強さが出てくるのもこの時期です。さらに年齢を重ねて、ベテラン、高齢の方になってくると、リスクそのものに対する感度も上がっていきます。合わせて、「動じない強さ」も身につきます。

人間にはいろいろな能力があります。その中で、メンタルな強さは、経験を積めば積むほど、経験を重ねれば重ねるほど上がっていく、唯一の能力ではないでしょうか。

もちろん個人差があるので、これらの能力が何歳で身につく、というわけではありません。しかし、そのときに持っている素晴らしいものや、世代の特長を上手に活用していけば、何歳であっても自分の力をさらに発揮することができるでしょう。

現代は、いろいろなテーマや問題がありますが、それらが片づかない、解決できないことが非常に多いものです。しかし組織や団体、国でも、チームでも、どの単位でもいいのですが、それらの中で、お互いの持っているいいところや得意なところをうまく活用していくと、解決できることが増えていくでしょう。

自分自身だけではなく、お互いが持っているものを活かし合って、価値の創造や問題解決をしていくといいと思います。そうすればいくつになっても、どんな環境でも、力を発揮し、結果を出し続けていくことができるはずです。